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ようこそ
合気道国際平和文化交流クラブ

私たちの道場

私たちの合気道道場は、合気道の伝統的な教えを守りながら、すべてのレベルの方々に歓迎される環境を提供しています。 技の融合、自己鍛錬、そして心の落ち着きを重視しています。

初心者でも経験者でも、当道場では流れるような動き、協調性、そして内なる力を養うための体系的なクラスを提供しています。 インストラクターたちは豊富な経験を持ち、合気道の道を歩む生徒たちを熱心に導いています。

稽古の重点:

プロローグ

埼玉大学合気道部の創立メンバーは、2年生と1年生でした。それらのメンバーを合わせて、部の「一期生」と呼ぶのが適切かもしれません。 翌年には男女を問わず多くの三期生が入部し、創部初期の土台作りに尽力してくれました。 嫌われても無視されても、私たちは学生生活の大半を合気道に捧げました。 特に一期生の石垣さん、佐藤さん、麻生さん、杉山さん、そして二期生の田口さん、新井さん……色々ごめんなさい、そして本当にありがとう……。

50年——部も私も!

今年の4月、埼玉大学合気道部は創立50周年を迎え、私もこの3月で合気道を始めてちょうど50年という大きな節目を迎えます。 私にとっても、埼玉大学にとっても、非常に意義深い時です。 現在の部員やOBの多くは、合気道部がどのように始まったのか、また私がなぜその1年前に合気道を始めたのかを知らないかもしれません。 ですので、それについて少しだけ触れておきたいと思います。(文体は意図的にフォーマルです)

見ずに入門

1964年の2月か3月頃だったと記憶しています。家の近くに住んでいた大学生が、何気なくこう言いました。 「白髪のおじいさんが若者をポンポン投げてたよ。すごかった!」
それが演武を見た感想だったようで、「合気道という武道らしい」と教えてくれました。 当時はそれほど気にしていなかったのですが、なぜかその話が心に残りました。 「いつか合気道をやるぞ!」と自然に決心していたのです。今思えば不思議な気持ちです。 それまで武道にはまったく関心がなかったのに……。

大学に合格してホッとした1年後、その話を思い出し、新宿の本部道場に直行して、その場で入門しました。

思い返せば、手続きを終えてから初めて合気道の動きを実際に見たように思います。 なぜ見ずに入ったのか……。それは、まるで生まれる前から決まっていた道を自然と歩んでいたかのようでした。

雷鳴と開祖・植芝盛平先生

本部道場での初稽古の日だったと思います。壁に掛けられていた木刀か杖を何気なく手に取った瞬間、 道場の奥から雷のような声が響きました。「何やってるんだ!!」 最初は自分が叱られているとは思いませんでしたが、間が空いて気づきました。 「初心者が刀や杖に触れるな!体術をしっかり習得してからだ!」
この叱責は、私だけでなく道場にいた全員への教訓でした。

その後、開祖は稽古をつけてくださり、言霊、合気道の本質、目的、そして修行者の心構えについて語られました。 (正直に言うと、半分も理解できませんでした)

開祖を初めて見たとき、私は初めての感覚にとらわれました。 「この人は人間だけど、人間を超えている……」 言葉にはできませんが、その存在に神聖なものを感じました。 その後、日比谷公会堂での杖演武で、その神々しさはさらに明確に感じられました。


直轄の新橋道場

1965年の春、最初は本部道場だけで稽古していましたが、新橋に直轄の道場があると知り、通い始めました。 大学が始まってからは、通学路に新橋道場があったため、平日はほぼ毎日稽古していました。

その後1年間、月曜から土曜まで週6日、一日も休まず稽古を続けました。その努力のおかげか、 1966年春に初段の審査に合格しました。 当時の先輩指導者の皆さま、特に増田清十郎先生、小出武男先生には、厳しくも温かいご指導に心から感謝しています。

月曜から土曜まで、日によって先生が変わり、本部道場の開祖の内弟子から若手指導員まで、 小さな道場で少人数の私たちは直接指導を受けることができました。 山口先生、藤平先生、早乙女先生、有川先生、一ツ橋先生、そして若手では金井さん、千葉さん。 なかでも小林保雄先生は、明るくエネルギッシュで親しみやすい指導で印象的でした。

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